佐名伝地区の広陵では(現在の大阿太高原)明治10年頃から開墾がはじまりました。当時は現在のよう な農耕機械がないため、すべて鍬などの農具を使い、血のにじむような苦労に苦労を重ねて少しずつ切 り開いたと聞いております。始めは桑や桃などが植えられていました。明治35年に札幌農学校出身の奥 徳平が大淀村薬水に入植され、それから二十世紀梨(当時は凱歌梨)の栽培が始まり、農家の生業とな って梨栽培中心の産地に育ってきました。